「空気を読む」から「口に出す」への転換 ~やっぱり言わないと分からない~

 

皆さん初めまして。

赤凪ランタナというものです。

 

「今日から気になることとか書きたいことをこのブログに書いていこうかなー」というゆるい気持ちで始めてみました。

 

不定期更新かつジャンルもバラバラになると思いますが、どうぞゆっくりお読みくださいまし。

 

じゃあ早速本題に入っていきますね。

 

 

 

 蔓延する「空気読め」

 

togetter.com

 

 このまとめ内の一枚目の画像、皆が忙しそうにしている中ひとり定時で帰ろうとする男の人に不満をもらすという構図に注目が集まりました。「むしろ左3人がアスペ」とか「定時で帰れるならアスペになりたい」とか様々な意見が集まっていたんですが、私が言いたいのは、「口に出さないと分からないよ」ということです。

 

 おそらくこの画像、アスペルガーの人は普通の人よりその場の雰囲気を読む能力が低いことを表したかったんだと思います。しかし皮肉なことに、左の3人の言い方(左端の人は喋ってないんですが)がまずい。暗に、「なんで言われなくても残業しないんだ?」という非難のサインがにじみ出ているのか分かります。

 

 「直接言われなくても、今日は残業しなきゃいけないって分かるだろ」って自分が言われた時を想像してみてください。おそらく首をかしげたくなる方が多いのではないでしょうか。言われなくても残って手伝うのは当たり前、他の人が残っていたらあなたも残るのは当たり前、「察してよ」、「空気読め」、私たちは実に様々な場面でこの「空気を読む」という行為を取っています。ですが、私はこの空気を読むという行為に頼りすぎていては、皆が不幸になるだけなのではないかと思うのです。

 

理論的話し合いが弱い日本人

 

 日本人はよく以心伝心や阿吽の呼吸を重視すると言われていますよね。なぜこのような風習が生まれたのか?それを知るためには、日本の地形や宗教、気候などなど、挙げれはキリがないほどの要素*1に手を突っ込まないといけません。それほどまでに複雑な背景があって、このような風習が広まっているのです。

 

 しばしば、日本人は理論的な話し合いが苦手だと指摘を見ることがあります。おそらく、こういった口に出さずとも分かってくれという、感情の面を頻繁にコミュニケーションの方法として用いているからなのではないかと思います。感情を使って話し合い、感情を使って問題を解決するという場面が多く、なるべく客観的にじっくりと合意をするということは中々起こりません。*2

 

 そもそも、学校や大学でしっかりとした議論を学ぶ人が少ないのです。ディスカッションやディベートもそこまで発達していない以上、理論的な話し方を学べる機会は明らかに少ないと言えるでしょう。これでは理論的に話そうと思っても話せないのが当然です。

 

基本は口ではっきり使えること

 

 少し話がそれましたが、いくら私たちが空気を読むことを習慣的にやっていたとしても、場の空気を完璧に解読できる能力はそんなに高くないと思うのです。やはり言わないと分からないのです。はっきりと伝えないということは、相手が誤解する可能性を容認することと同義だと思った方がいいです。だって、私たちはエスパーではないのですから。

 

 口に出してものを言う習慣は、諸外国に比べて日本ではあまり根付いていません。おそらく、余計なことを言って相手を傷つけたくない、発言の責任を持ちたくない、場の空気を乱したくないという、一種の奥ゆかしさや気遣いが根強く残っているからなのでしょう。それらは確かに日本特有の誇らしい伝統性たりえるのでしょう。しかし、基本的には空気という曖昧な空間を使って表現するのではなく、はっきりと伝えるということを意識した方が、多くのトラブルを避けることができるのではないでしょうか。

 

 言うことで防げるミス、言うことで解決するものごと、口に出すことで何かが進展するということはとても多いはずです。せっかく人には口と耳がついているのですから、使わない手はないですよ。

 

 かくいう私もかなり内向的な人間なので、過剰なまでに沈黙したり、「空気を読んでくれ」と相手にプレッシャーを与えてしまう側の人間なんですよね……。この記事を読んでいて一番ダメージを受けているのはきっと私です。イタタタタ。

 

 

 

 

 

 

*1:残念ながら今の私にこれらを解説できるほどの知識はないです

*2:会議なんかは名目上このように掲げるでしょうが、実際は感情的に進行することも多いでしょう