怠惰から抜けられない理由が分かった気がする
最近、こんな考えが脳裏をよぎった。
それは、「死にたくないから生きてるだけ」という考え。
そして、「生きる動機が特にない」という気づき。
そうなんですよね。
別に生まれたくて生まれたのではありません。
生まれてしまったので仕方なく生きています。
死ぬのはまだ怖いので。(人の目だったり、物理的な痛みだったり、苦痛を感じるのはとても嫌なので)
億劫なことは何もしたくないんですよね。
ネットしたり、動画見たり、ゲーセン行ったり、本読んだりするくらいならしたい。
こういう簡単な消費活動はしたいけど、それ以上ハードな仕事、生産活動はしたくない。
だからおちんぎんのために生産活動を行う“就労”なんかやりたくない。お金貰える以上に面倒くさいが圧倒的に勝ってしまう。
お金がないと生きていけないと分かっていても、それでもやっぱりめんどくさい。
いっそ、お金で困ったら自分はどういう行動をとるのかなあと気になったりする。
それで人生転落しても、どうでもいいと冷めた自分が確かにいる。
まるで、死の恐怖から解放されるのを虎視眈々と待ち続けているかのようだ。
もうここまで卑屈な心を持ってしまっているのだけど、別にこの心を変えようとか特に思わない。
心なんて、変えようと思って変わった試しがない。
気付いたら勝手に変わっているものだと思ってる。
だから、もうどうでもいいやと思う。この怠惰な心の先にどんな結果が待っていようとも、それはそれでいいや。破滅なら破滅で構わない。
再就職先が決まったけど、億劫や怠惰を愛しすぎている自分のことだ、いつまでもつのだろうか。今回もあまりもたないかもしれないな。知らんけど。
じたばたしたって何も変わらないし、変えようと思いもしてないんだからもう仕方ない。時の流れに身を任せて、何かが変化するのを待つしかない。
現状、ナマケモノでもなんだかんだやっていけたんだから、どうにかならない事態にならない変わりようもないな。そこで選択を迫られるわけだ。新しい環境でナマケモノをやめるか、そこから逃避してナマケモノを続けるか。
まあこれから先のことなんて誰にも分らないから、考えるだけ無駄だな。今日も好きなだけ怠けるのみ。