当たり前のことを、どれだけストイックに続けられるか/『超一流になるのは才能か努力か?』アンダース・エリクソン、ロバート・プール、土方奈美 訳

 

超一流になるのは才能か努力か?

超一流になるのは才能か努力か?

 

一般的に、何かが「許容できる」パフォーマンスレベルに達し、自然にできるようになってしまうと、そこからさらに何年「練習」を続けても向上にはつながらないことが研究によって示されている。

 どうですか?この文章、衝撃受けませんか?私は受けました。それはもう、雷に打たれたかのごとくね。

信じられます?例えば、10年20年とやってるベテランのお医者さんと、数年かそこらのキャリアしか積んでいないお医者さんの手術の腕はそんなに差がないってことなんですよこれ*1。もしかしたら、ベテランのほうが腕が劣っている可能性すら指摘しています。

なぜそんなことが起こるのか。エリクソン氏は、「目的のある練習」もしくは「限界的練習」を積んでこないからだと述べてるんですね。

じゃあその2つって何なんでしょう?順に追ってみましょう。

 

まず、「目的のある練習」についてです。

特徴としては、

 

はっきりと定義された具体的目標がある 

最終的な目標を定めて、それを達成するために小さな目標も立てていきます。 

 

やるべき作業に全神経を集中

100%全力を出し切って望まないと、大した成長は見込めません。 

 

フィードバックが欠かせない 

どこでつまずくのか、この練習方法は今の自分に合っているか、もっと改善すべき点はあるかなど、気になった点は修正を試みます。 

 

自らをコンフォート・ゾーンの外へ追い立てる 

自分の限界の少し上の負荷をかけ続けます。 

 

自分は成功できると信じる気持ち

成功した自分の姿を思い描くなどして、モチベーションを上げる。

 

この5つですね。

 

コンフォート・ゾーンってなに?っていう人もいるでしょう。心理学か自己啓発が好きな人は聞いたことあるかと思います。

コンフォート・ゾーンというのは簡単に言うと、自分が安心して行えることとか、場所とか、状況を指します。

自分の家の中は安心できますよね?コンビニに行くのに不安を感じませんよね?マンガを読むのに不安を感じませんよね?このようにそこに居ることや何かをやることになんの抵抗もないのなら、コンフォート・ゾーンの中にいると言えます。

ここでいうコンフォート・ゾーンの外へ出るとは、自分が今できることよりもう1ランク上のことに挑戦するという意味です。

コンフォート・ゾーンの外に出ろと言っても、いきなりやたら難易度の高いことに挑戦するんじゃなくて、今の自分が全力を出してできるかできないかのぎりぎりのラインがちょい上くらいに設定するんです。

 

話を戻しますね。

 

この「目的のある練習」の中身、どうですか?すっごい普通のことだと思いません?

実際、私は思いました。「なんやねん、こんなの向上心がある人なら誰でもやるだろ!」と心の中で叫びましたよ。

でもね、同時にこうも思いました。

「あれ、俺こんな当たり前のことも意識して努力したことないぞ?」って。

 

案外、皆さんもこうなってるんじゃないでしょうか。

将来作家になりたいから、とりあえず好きな小説丸写ししてみるか、とか

テニス上手くなりたいから、とりあえずテニススクールに通うか、とか

なんとなくこれをやり続けてれば、そのうち上達するって思ってません?

確かに最初はそんなふわふわした解決策でも、それなりに継続していけばそこそこのレベルには到達できるでしょう。でも、そこそこ止まりなんです。それ以上の上達は見込めないと、エリクソン氏は言っています。

 

そりゃそうですよね。

というか、こういうふわふわした策しか思いつかないのは、本気でその道を極めようと思っていないからなんですよね。

本気の本気なら、頭フル回転させて事前に上達に必要そうな要素を自分なりに考えるはずですから。

そして実行して、問題点が見つかったら修正を試みて、継続して取り組む。

もうこれをやるだけで大分違います。特定の分野の中の上くらいには上がれるでしょう。

当たり前なことを継続してやる、これは言うのは簡単だけど実行するのが難しい。だからこそ、実行できる人には相応の実力がつくわけです。

 

「目的のある練習」はこれくらいにして、次は「限界的練習」について見ていきましょう。

とは言っても、「限界的練習」も中身は「目的のある練習」と変わりません。

「目的のある練習」に2つの要素を足すと「限界的練習」にレベルアップします。

 

まず1つ目は、

対象となる分野がすでに比較的高度に発達していること(中略)楽器の演奏、バレエなどのダンス、チェス、個人および団体スポーツ、とりわけ体操、フィギュアスケート、飛び込みなど

 

スポーツなど誰かと競い合うものは、既に練習法やマインドセット、戦略、必要な栄養素など様々なデータやノウハウが蓄積されています。 だからこそ、より質の高い練習がしやすいのです。

 

そして2つ目は、

学習者に対し、技術的向上に役立つ 練習方法を指示する教師

 フィードバックは自分だけでもできますが、当然プロの視点から見てもらった方が早くて正確です。間違っている箇所が見つかればその都度修正を手伝ってくれますし、コンフォート・ゾーンの外への追い立ても巧みです。

 

これもそんなに奇をてらったことじゃないですよね。言われてみればそうだってくらいの内容です。でもこれが超重要です。スーパースターになるには、ほぼ必須の条件と言ってもいいでしょう。

 

そして、「目的のある練習」でも「限界的練習」でも、必ず必要になる要素があります。それは、自主練習の多さです。

その根拠を、エリクソン氏はベルリン芸術大学の学生を対象にした調査で示しました。バイオリン科の学生を対象に、便宜上優秀なランク順に「Sランク」(トップクラスに優秀なスーパースタ候補)「Aランク」(非常に優秀だけどスーパースターになれるほどではないレベル)「Bランク」(普通の人よりはうまいけれど、ソリストのプログラムを受験して受からないレベル)と3つに分けて、それぞれの18歳になるまでの総自主練習時間を調べました。

その結果、時間の長さは「Sランク」(平均7410時間)>「Aランク」(平均5310時間)>「Bランク」(平均3420時間)となったと述べています。

 

うまい人ほど、自主練習にかける時間が多いという結果になりましたが、ここでちょっと疑問に思う人もいることでしょう。

「でも才能とか向き不向きもあるんじゃないか?」と。

エリクソン氏は、トップクラスの実力になるのに才能は必要ないと断言しています。

それどころか、才能は努力し続けていれば後天的に身につくとまで言っています。

そう考える理由は、「自己充足的予言」があるからだと言います。

ある分野で成功できるかどうかを左右する、あるいは決定づけるのは生まれつきの才能であるという考え方は、特定の意思決定や行動につながる。生まれつき才能に恵まれていない人は絶対に成功できないという前提に立てば、何かに挑戦してすぐに適性を見せない子供は、別のことを挑戦するように促される。(中略)スポーツなどやめたほうがいいと言われた少女はテニスやサッカーで活躍することはなく、音痴だと言われた少年は楽器を弾いたり歌を歌ったりするようにはならず、数学ができないと言われた子供たちはそう思い込んだまま大きくなる。予言が自己充足するのだ。

 

これってすごく残酷なことです。物事を始めてまだ花開く時期ではないのに、先んじて誰かが「あなたには才能がないから、それはやめた方がいい」って言って芽を摘み取るんですよ。こんなの子どもが聞いたら勇気がくじかれます。子の特性を殺す行為なんですよ。子どもに限らず、大人にも当然言うべきではないんですけどね、特に子どもはマズいです。犯罪レベルでマズいですね。

もしこういうことを言ってた覚えがある方は、今すぐ改めるべきですよ。こういうのって回りまわって自分に返ってきますからね。自分が誰かの勇気をくじいたら、報復の勇気くじきが必ず訪れるものです。

エリクソン氏も、才能だけで全てが決まるという考えは残酷すぎると考えていたからこそ、努力が才能が重要だという研究を進めたんじゃないかと思っています。

 

最後熱くなってしまいましたが、結論としてこの本は、

本当に上達したい、極めてみたいと思うことが見つかった時に読む本

だと思いました。

基本的なことの重要性を、様々な研究↓調査を添えて実証しているので、分かりやすくていいですね。

素直に納得できる本です。

 

では今日はこの辺で。またお会いしましょー。

 

*1:一応この本の中に、医者たちが限界的練習を積んで技術力を高めているケースが書かれているので、あんまり深刻になる必要はないかと思いますが