AIに精神を搭載する前に
2019/10/26(土)
会社の研修で知ったのだが、ジョン・サールという人物が、「強いAIとは、機械でありながら、精神や意識を持ったAIである」だと定義しているらしい。
AIに、人間と同じような感情や思考能力を宿すことは、AI開発の最終ゴールの1つであるということは研究者でなくても察しがつく。
僕は未だにデパートや携帯電話ショップに置かれているペッパー君とはコミュニケーション(と言ってもいいのだろうか…)を図ったことはない。
その原因は、ペッパー君はロボットであるにもかかわらず、人間の方に目を向けてくるあの動作にある。
機械の顔が僕に向いてくるというのが、とてもむずがゆく感じるのだ。その理由はよく分からないけど。ただ単にペッパー君の存在になれていないだけな気もする。
脱線したので本題に戻ろう。
AIに感情を乗せるとか、精神を吹き込むとか、そういうことは100年200年ではできないんじゃないかと僕は思う。
精神や意識をAIに搭載するのであれば、その大元の精神・意識は間違いなく人間をベースにするだろう。
AIにこれらを入れるのであれば、人間の精神や意識をほぼ完全に解き明かしていなければならないはずだ。この2つの流れをきちんと系統立てて証明でき、再現できるようにしなければいけない。
これが超難題だ。
人間の精神や意識はどこからできているのか?脳が一番もっともらしい答えだけど、脳も体の中の諸器官と密接にリンクしている。
空腹感を胃が合図を出すから「お腹が空いた」と思うのか、「お腹が空いた」から胃が空腹感を訴えるのか。
トゲが刺さるから「痛い」と感じるのか、「痛い」と脳が信号を出すから痛いと感じるのか。
こういった脳と体の各器官の関係を解き明かさないことには、精神や意識を完全に理解することはできない。
AIに精神を搭載するということは、僕ら人間を完全に解明しないといけないだろう。
そしてそれは、何十年とか百何十年とかで分かるものじゃないと思う。
というか、そんなに短期間で解明されてほしくないという気持ちもある。
で、仮にAIに精神や意識を搭載することができたとしたら、今度はそういったものを備えたAIはただの機械なのかそれとも人権ある存在と認めるのか…というひと昔のSFがさんざテーマにしたような問題が浮かび上がるわけだ。
ここでも人間とは何か、AIとは何かという問題を突き付けられることだろう。
AIで仕事を奪われるとか業務の効率化だとか、とかくビジネスの話ばかりが持ち上がっているけど、今のうちに人間とは何かを少しでも見つめ直しておく方が、実は生きていく上で重要なんじゃないか。そう思えてならない。