ハナサケハートフルハーモニー!

この文の後ろに花畑がある、ということにしておいてください。

「今、ここ」にはない不安で動いている現代社会

 rustyautomata.hatenadiary.jp

 

BEATLESS』に、こんな一文がある。

人間を誘導する道具として、経済と貨幣が優秀過ぎた。経済動向に過敏に反応するよう、人間世界を、人間たち自身が作ったせいだ。市場が揺れると、危険が実態になる前から、『安全』を脅かされたと判断した数億人もの人間が走らされてしまうのだ。 

『BETALESS』下巻 P490

 この部分に頭を殴られたような感覚がした。

 そうだ、僕たちの住む世界は、実体のない危険や不安に動かされているような気がするんだ。

実際には起こっていない危険が浮かび上がることで、株価や指数は下落し、実際には起こっていないバラ色の未来を想起することで、これらは上昇する。実際には何も起こっていないことだ。経済とは、まだ起こっていないことがこれから起こることを前提にして回っている。人間がアタマの中で思い描いている未来が発展したものが、経済の生みの親なんじゃないか。

個人にスケールダウンしても、同じように考えることができる。お金に関して、私たちは未来に起こるかもしれない危険(失業、病気、事故、災害、運用してる株に値段が下がること、税の引き上げ、老後、など)を恐れる。だから、お金はいくらあっても足りない、という考えが際限なく膨らんでいく。確かにそれらは起きそうな可能性ではあるが、まだ可能性の話に過ぎず、実際はその未来の時点に辿り着かなければ、いくらお金が必要なのかは分からない。しかし、未来のことは予想するしかなく、不確定なことで僕たちはそれを怖い、不安だと感じる。だからお金はいくらあってもありすぎることはないのだ、という考えになる。これを巨大化したのが経済のように僕には見える。

もちろん、経済はこのような悲観的なお金だけでできているわけではないことくらいは分かっている。今あるものをより良くするためのであったり、この分野が伸びそうだからここにお金を投入しようという投資がある。それでも、現代社会はリスク回避で動くお金の方が多いのではないだろうか。

僕たちは、ありもしない怪物を作り出して、その存在を信じ込むことでお金を動かしてきたのではないだろうか。貨幣という強すぎるモノと、人間という悲観の想像力が強い者、2つの「もの」が出会って、人間社会は急速な発展を遂げた。

人間のネガティブな想像力に、貨幣という史上最強のモノが合わさることで、ネガティブな力が今の高度に発展した経済社会を築き上げた。そう考えることもできるんじゃないか。

人間社会は、アドラー心理学が言うような今だけを見つめる仕組みで動くことはできないのだろう。その土台の大半がネガティブな力でできたものを入れ替えるのは、非常に難儀なことなのは目に見えているから。

今ここにない不安に駆られるのならば、『安全』もまた今ここにない。

この社会は、イタチごっこの夢を見続けている。夢から覚める日は果たしてくるのだろうか。