【読書感想(後編)】「好き」を続けて、現状から抜け出せ/Rootport『失敗したら即終了!日本の若者がとるべき生存戦略』
↑の記事の続きです。
「一体何を目指して生きたらいいのかわからない」
「なぜこんなに世の中は不公平なんだ」
「安定したレールなんてどこにもないじゃないか」
「大企業に勤めて、20代後半で結婚して、30くらいで子供を授かって、ローンを組んで一軒家、定年まで勤めあげて年金生活……そんなの幻想じゃないか」
そう、私たちの世代には明確なレールなんてものが存在しない。
もっと言えば、「物語」がない。この変化が激しい世の中で、安定という文字は不透明になり、「普通の生き方」というものが分からなくなってきている。
でもこれだけは多くの人が薄々気づているのではないだろうか。安定なんてものは幻想だ、と。
物語を喪失した時代に生きる私たちは、自分の物語を自分で作らなければならない。どんな生き方をすれば「いい人生」と呼べるのか、自分にとってのしあわせ何か、自分で考えなければならない。もしも「正しい生き方」があるとしたら、何が正しいのかを考えることだろう。考え続けることだろう。 p10
AIの発展、生きづらい社会
自分の人生は自分で創り上げるもの。
そうは言っても、不安要素が多すぎる。
終身雇用制度の崩壊、ブラック企業、長時間労働、技術革新からの人件費削減、労働者側からしてみれば、先行き不透明な要素が多く出てくる。
特にAIの発達には注目すべきだと思う。これから単純労働はどんどんAIに置き換わる。
ランニングコストは人間より格安、しかもミスなく作業をこなせるとなれば使わない手はない。これからは、単純労働で食べていくのはどんどん困難になっていく。
AIの可能性には目を見張るものがある。絵を描いたり、執筆といった創作活動までこなせるようになると言われているほどだ。
100年後200年後にはもしかしたら、AIが仕事の大半を担っているのかもしれない。
そういう時代に私たちは生きているのだ。
ならば、AIが完全に普及した世の中だとしたら、私たち人間の役割はどのように変わっているだろう。
私個人としては、娯楽、スポーツ、創作活動といった文化的な活動が盛んになるのではないだろうかと思っている。
なぜなら、過去の歴史で似たような事例が起きていたからだ。
紀元前の時代、ギリシャが奴隷制を布いていたころ、奴隷が大半の仕事をしていた時代に哲学は生まれた。なぜか?それは支配者層が時間を持て余していたから。アルケーを探求するようになったのは、暇つぶしのためという側面がある。
きっと未来でも、人はなにかを追求して生きていく時代になっているだろう。
……こういう結論に持っていってもよかったのかもしれないが、遠い未来の話より今後60年70年、どう生きていけばいいかを探るのが肝要。話を進めよう。
AIの進歩もそうだが、現在の社会は何となく生きるだけの人には不親切な設計だ。働くのはそこそこにして、給料は多くなくてもいいけど早めに帰ってスマホいじっていたい、なんていう考えは許さないとばかりに世間は勤労を強いてくる。
しかも厄介なことに、道がそれしかない。いや厳密には他にも道はある*1のだが、目につきずらくしかも荒れ果てた道である。それに比べ、40年勤労*2の道は広くて舗装されている。ご丁寧に案内役の人*3がいるのも珍しくない。しかしこの道、舗装されているのは最初だけ、少し進めば穴ぼこが出てきて、進めば進むほど損傷が激しくなり*4、とても進めなくなる……なんてことが珍しくないのだ。
ただ会社で働くだけでは息苦しい、でもほかに道がない、どうしようもない……この大きすぎる問題を解決するには、どうすればいいのだろうか。
変わるべきなのは自分、動くのも自分から
Rootport氏の答えは単純明快だった。
それは、できることを増やして重ね合わせること。
そして、好きを極めること。
“できること”のリストをどんどん長くしていけばいい。交換不可能な人になるっていうのは、そういうことだよ p49
「私が言いたいのは、何もしなくてもいい時にしていることを仕事にすべきってことだよ。そういうモノなら、いくらでも続けられる。いくらでも上達できる(中略)そして、いつか群を抜くことができる」 p51
つらいこと、興味のないことは、耐えることはできたとしても、自分の強みには昇華されづらい。ただ賃金を獲得するために、40年間興味も関心もへったくれのないことを仕事にして、人間関係に耐えて、残業に耐えてだなんて、あまりにもむごい人生ではないか。
せっかく生まれたのだから、せめて自分のやってみたいことを納得いくまで追求したい。このような思いは誰でも抱いたことがある感情だ。しかし、その道はいばらの道だと、両親から、先生から、友達から、ネットから、様々な人から耳タコになるまで聞かされて、勇気をくじかれる。安定した道を歩めと、事あるごとに指示してくる。
しかし現状を見てほしい。働いてる人々の苦痛の叫びはそこらじゅうに響いている。その苦痛の声は種々様々だ。
上げられている声は、労働のシステムがほころんでいるという証明。
おかしな労働システムを改善しようという動きはあるにはあるが、その動きは鈍いと言わざるを得ない。
最近になって、ようやく時間外労働の上限が規制されようとしている。
この動き自体は歓迎されるものであろうが、「ようやくかよ」というのも正直な感想だ。
制度が変わるのには、とても時間がかかる。40年勤めきったところで、ようやく今よりマシな労働環境が整っているのかもしれないが、それでは意味がない。
苦痛な日々から脱したいなら、自分が変わるしかない。社会が変わるのを待ってはいけない。それでは遅すぎるから。
変わるための方法
変わるって言っても、何から手を付けたらいいのだろう。
個人的にオススメする方法は2つ。
1つは、1日5分でもいいので気になっていることや好きなこと取り組むこと。
できれば毎日、なるべく継続してやるのが好ましい。
毎日やることで、自分の中の「意欲のスイッチ」をONにする習慣を身につけることだ。継続していけばいくほど、やれることが増えていくだろう。それが積み重なって自分だけのスキルとなるのだ。
すぐにはモノにならなくても、単純に好きなことをやっているだけでも至福の時だ。気づきもどんどん出てくる。もしかしたら、これで食っていく道が見えてくるのかもしれない。
0.1%の成長でも、10年20年と続ければ、凄まじい数値となる。背伸びしすぎず、スロージョギングのごとく楽に楽しく走れるペースで、駆け抜ければいい。スモールステップを強く意識することが肝要だろう。
もう1つは、気になることには投資を惜しまないこと。
人間、お金をかけたものには真剣になれるものだ。無料でもらう本よりも、自分で買った本の方がいろんな意味でよく読める。投資は多ければ多いほどいい。後戻りができなくなって覚悟が決まりやすくなる。
本を買い込む、教室に通う、有料のグループに参加する、いい道具を買う……何でもいい。自分が成長できると思える要素があれば、財布の許す限りお金をつぎ込むのだ。それほどまでに真剣に腹をくくれば、必ず見えてくるものがある。現状を打破できる何かを、見つけることができる。
目の前のパソコンをよく見てほしい。スマホをよく見てほしい。生産手段はもはやタダ同然で手に入るではないか、このことはもっと真剣に考えていい p104
お小遣い稼ぎ程度の副業から始めてみればいい。(中略)趣味で始めた副業が、やがて充分な利益収益をもたらすかもしれない。そうなれば、もはや会社の言いなりになる必要はない。自由を害するような要求をされたときは、胸を張って応えればいい。そんなん言うならやめます、と。 p105
大事なのは自分の可能性を信じることだ。信じないことには、何も始まらないのだから。